きらきらひかれ

ジャニオタのブログです。→ほぼ茶の間。

10月が終わります。

 

今年の10月も、もうすぐ終わろうとしている。A.B.C-Zというグループのファンになってから、それまで特に思い入れのなかった10月が、自分の中で特別な月になった。その特別な時間を過ごすのは、今年で2度目になった。

 

去年の10月は、何かに取り憑かれたみたいに毎日チケット譲のツイートを探したり、自分が入れない公演のレポをチェックしたり、そうやって過ごした。自分が入らなかった公演でなにがあったかをできる限り把握していないと気が済まなかった。

今年はと言えば、個人的にいろいろと忙しかったせいもあって、レポを見ることもほとんどなかったし、本当は2公演入るつもりだったけれど、チケット取引がなかなかうまくいかず、諦めて仲の良い友達に譲って連番してもらった。ほんとうにありがたいと思う。

 

 

わたしが観劇したのは前楽で、自分にとっては1回目の公演なのに、翌日にはもう千秋楽を迎えてしまうのだと思うとなんだか不思議な気持ちだった。1ヶ月という長い公演期間の舞台に、しかも自担がいる舞台に、一度しか入らないなんて、1年前の自分が知ったら驚くだろうと思った。だけど変な気負いみたいなものは全く感じなくて、単純に「この1回を楽しもう」と、それだけだった(観劇する前からなんとなく胸がいっぱいでご飯は食べられなかったけど笑)。自分がそういう純粋な気持ちを抱けたことにも驚いたし、なんというか、それが心地よくて、もしかしたら今の距離感がちょうどいいのかもしれないと思ってみたりもした。

 

 

 

座席について劇場の天井を見上げると、そこはにぶく光っていて、ああこの場所が好きだなあと思った。ジャニーズの、A.B.C-Zのファンにならなければ、それはわたしが一生見ることのないきらめきだったかもしれなくて、なんとも言えない感情で満たされた。

 

 

幕が上がると、そこには眩しいくらいに輝いた人たちがいた。とても好きだなあと思った。それはびっくりするくらいにまっすぐで、穏やかで、それでいて強い感情だった。

 

わたしが『現場』に入るのは、多分、この目で『答え合わせ』がしたいからだと思っている。わたしが好きな人たちがどんなふうなのか、自分の目で確かめたいからだ。

 

舞台の上に立って、演じて、歌って、踊る彼らは、テレビで見ているときよりもずっとずっと近くに存在しているはずなのに、どうやっても届かないところにいる人たちだ、と思わさせられた。スポットライトの光だけじゃない、彼ら自身が発光しているかのように感じて、なんでもない場面で視界が歪んだ。

 

 

 わたしはA.B.C-Zが大好きだけど、自担は戸塚くんだから、戸塚くんを自然と目で追ってしまうのだけど、やっぱり戸塚くんは最高だと思った。戸塚くんが呼吸して、汗をかいて、そして演じて、その一瞬に立ち会えたことが嬉しくてたまらなかった。始まる前はあれだけ胸がいっぱいでなにも食べられなかった(普段めちゃくちゃ食べる自分が、自担の現場前というだけで液体しか口に出来なかったのだから、いま考えるとおかしくてしょうがない)けれど、戸塚くんの姿を見ているととてつもなく空腹を覚えた。馬鹿みたいなことを、大真面目な顔してわたしはいまこれを書いているけれど、身体が生きたがっているんだと思った。

 

オタクになる前までにももちろん「楽しかった」とか「嬉しかった」とか、そういう感情がなかったわけではないけれど、「生きていて良かった」とは思ったことがなかった気がする。だけど今、わたしは生きるのが楽しくてしょうがない。戸塚さんと同じ時代に生きてるだけで丸儲けだと思う。戸塚さんのオタク、めちゃくちゃ楽しいよ。

 

 

戸塚くんがジャニーさんを演じたこと、いまこの時代にA.B.C-Zが『Never My Love』という曲を歌っていること、今年の10月も日生劇場の舞台に立っていたこと、全てが誇らしい。

 

少し遅くなりましたが、2017年ABC座 ジャニーズ伝説、千秋楽おめでとうございました。A.B.C-Zのファンになれたことを、わたしはとても誇りに思います。素敵な舞台を、どうもありがとう。