ショーのおわりに
舞台の見方って、人それぞれだと思うんですけど。わたしはわりと役柄どうしとか、役と中の人(演者)の対応とかを考えてしまうタイプなんですよね。だけど、こんなにも自分に透過させてしまう舞台って初めてかもしれないな、って終わってから思った。
自分の夢とかやりたいこととか理想とか才能とか実力とか運とかどうしようもない現実とか。
「カード次々めくるように夢追いかけるには もう遅い」
「ステップ次々踏むように夢追いかけるには もう遅い」
ってところでめちゃくちゃグサグサきてしまった。
裏方、ギャンブラー、マフィア、見習いの4人は(少女やエンジェルもだけど)自分の夢を諦めたり諦めようとしていたり、自分の現状にもやもやしていたりして、でもみんなそんなもんかなって思った。けれど最後のショーでそういう人たちがひと皮むけたり、壁を壊したりできるところが”お話”のいいところだよね。なにより、そのショーを束ねる支配人が、人生はいくつになっても選べるって信じている(ように見える)ところが救いだなと思う。
支配人は傍から見れば「選んだ」じゃなくて「選ばされた」ように見えなくもない。両親が死んで、キャバレーの経営を継ぐことは本当に心からの本人の意思だったのか、それともなんとなく、とか、しかたなく、だったのか。それしかない道を、それでも自分で「選んだ」のか。分からないけれど、そういう道をたどってきた支配人がなにも諦めていないところがまぶしくて好きだな。
どうにも出来ないこととか、しょうがないことって確かにある。だけど、人生はショー。ショーは何があっても続けなきゃいけないし、幕があがったらそれが下りるまでは一時停止もやり直しもできない。
人生はショータイム。
みんなエンターテイナー。
ノーバディ イズ パーフェクト。
わたしがこの作品から受けとったのはこれだけだし、これってめちゃめちゃシンプルで分かりやすい。だからきっと好き。
こういうことってどれだけ「面白がれるか」みたいなところが重要になってくる気がするんだけど、そういう作品をふぉ~ゆ~が演じて、すごくぴたっとはまる感じがした。
この舞台でわたしが好きなのは、何も押し付けてこないところだなと思う。たまにすげー制作サイドのアレを押し付けてくる作品ってありますけど、それって押し売りだし。選択権をゆだねられてる感じに、信頼と一種のリスペクトみたいなものを勝手に受け取ってしまって、嬉しくて震えそうになる。
アイドルのおたくをやってるとどうしてもそのアイドルしか見られなくなることがあって。実際にそれをするかは別として、脚本とか演出とか音楽とか、そういうの全部「どうでもいい」って投げ出したくなったり、場合によっては(作品のクオリティとかの問題で)投げ出さねえとやってらんねーよ、みたいなことが今までにわたしは、なくもなくもないんですけど。だから純粋に作品を、アイドルたちのことは二の次でそれ自体を心から「面白い!」って思えるものに出会うと楽しくてしょうがない。それであとからじんわり、この人たちを好きになってよかったなと思う。
わたしはふぉ~ゆ~を好きになってよかった。