きらきらひかれ

ジャニオタのブログです。

ショーのおわりに

 

舞台の見方って、人それぞれだと思うんですけど。わたしはわりと役柄どうしとか、役と中の人(演者)の対応とかを考えてしまうタイプなんですよね。だけど、こんなにも自分に透過させてしまう舞台って初めてかもしれないな、って終わってから思った。

 

自分の夢とかやりたいこととか理想とか才能とか実力とか運とかどうしようもない現実とか。

 

「カード次々めくるように夢追いかけるには もう遅い」

「ステップ次々踏むように夢追いかけるには もう遅い」

ってところでめちゃくちゃグサグサきてしまった。

 

裏方、ギャンブラー、マフィア、見習いの4人は(少女やエンジェルもだけど)自分の夢を諦めたり諦めようとしていたり、自分の現状にもやもやしていたりして、でもみんなそんなもんかなって思った。けれど最後のショーでそういう人たちがひと皮むけたり、壁を壊したりできるところが”お話”のいいところだよね。なにより、そのショーを束ねる支配人が、人生はいくつになっても選べるって信じている(ように見える)ところが救いだなと思う。

 

支配人は傍から見れば「選んだ」じゃなくて「選ばされた」ように見えなくもない。両親が死んで、キャバレーの経営を継ぐことは本当に心からの本人の意思だったのか、それともなんとなく、とか、しかたなく、だったのか。それしかない道を、それでも自分で「選んだ」のか。分からないけれど、そういう道をたどってきた支配人がなにも諦めていないところがまぶしくて好きだな。

 

どうにも出来ないこととか、しょうがないことって確かにある。だけど、人生はショー。ショーは何があっても続けなきゃいけないし、幕があがったらそれが下りるまでは一時停止もやり直しもできない。

 

人生はショータイム。

みんなエンターテイナー。

ノーバディ イズ  パーフェクト。

 

わたしがこの作品から受けとったのはこれだけだし、これってめちゃめちゃシンプルで分かりやすい。だからきっと好き。

 

こういうことってどれだけ「面白がれるか」みたいなところが重要になってくる気がするんだけど、そういう作品をふぉ~ゆ~が演じて、すごくぴたっとはまる感じがした。

 

この舞台でわたしが好きなのは、何も押し付けてこないところだなと思う。たまにすげー制作サイドのアレを押し付けてくる作品ってありますけど、それって押し売りだし。選択権をゆだねられてる感じに、信頼と一種のリスペクトみたいなものを勝手に受け取ってしまって、嬉しくて震えそうになる。

 

アイドルのおたくをやってるとどうしてもそのアイドルしか見られなくなることがあって。実際にそれをするかは別として、脚本とか演出とか音楽とか、そういうの全部「どうでもいい」って投げ出したくなったり、場合によっては(作品のクオリティとかの問題で)投げ出さねえとやってらんねーよ、みたいなことが今までにわたしは、なくもなくもないんですけど。だから純粋に作品を、アイドルたちのことは二の次でそれ自体を心から「面白い!」って思えるものに出会うと楽しくてしょうがない。それであとからじんわり、この人たちを好きになってよかったなと思う。

 

わたしはふぉ~ゆ~を好きになってよかった。

 

 

 

 

20190108

 

ラブバトル、延長戦行ってきました。

 

行くかどうか迷ったんですけど、なんなら行かないつもりでいた時期もあったんですけど、行ってきました。戦に。笑

 

 

わたしはもうある意味で無関係の人間になったつもりだから、コンサートが始まって序盤までは、なんとなく別世界を見ているみたいな気持ちになった。1枚膜を通して向こう側を見ているみたいな。透明で、よく見えるのに聴こえるのに、違う世界にいるような。足元がふわふわする感覚があった。

 

だけど、JOYしたいキモチでジョイポリスに友達と何度も行ったこととか、ペルソナゲームでこの曲戸塚担の友達がめっちゃ好きな曲だよなあとか、イナビは担当やってたときからずーーっとコンサートで聴きたいって言い続けてたけどこのタイミングかあとか、砂グラとか。

 

 

センステに5人が集まって、戸塚くんはギターを下げていて、ああたぶんあの曲だろうなって思ったら(良い意味で)めちゃくちゃ裏切られて思わず叫んだ。

 

わたしにとってVはとてもとても重要な位置にある曲で。曲だったって言ったほうがいまはもう正しいのかもしれないけれど。わたしだけじゃなくて、ほとんどの戸塚担はそうなんじゃないかなって勝手に思っている。

 

あのころの戸塚くんを見ていたわたしは、言ってしまえば戸塚くんが世界の中心だった気がする。大げさだけど、ある意味でほんとうにそうだった。上半身裸でギターを下げてきたときのこととか、楽しそうに踊ってたのとか、いろんなことがフラッシュバックしてめまいがしそうになった。戸塚くんはずっと戸塚くんを生きていてほしい。

 

 

ずっとLOVEとかざえびはもちろん、砂グラとかVanillaも自然と踊れちゃう自分がいて、それに気づいておかしくなった。3年ちょっとでだいぶ鍛えられたなあ笑。戸塚くんの担当をやってた証みたいなものだと思うことにしよう。

 

 

ちょっと前に質問箱にもらった匿名のメッセージで、「めいさんがA.B.C-Zを嫌いになってなくてよかったです」と言ってもらえたことがある。このひとに、わたしはどういうふうに写っていたんだろうって気になった。この言葉をもらったときの気持ちは、たぶん『嬉しい』だったからそういうことにしようと思った。

 

あの5人を、A.B.C-Zを、橋本くんを戸塚くんを河合くんを五関くんを塚田くんを、嫌いになるなんてたぶんわたしには一生無理だと思う。正直、降りる直前は色々ゴタゴタがあってうーんと思う時期はあったけれど笑。でも結局は無理だった。好きじゃなくなることはできても、嫌いになることはとてもとても、難しい。難しいからこんなふうにとりとめもく、思うことをだらだらた書いている。

 

 

本当にたまたまなんだけど、今回の追加公演のセトリはわたしにとって思い出のある曲がたくさん詰め込まれていて。歌って踊る5人を見ながら、記憶が勝手に脳内再生されて、あの頃が自分の青春だったのかもなあって思った。青春って、ね。自分で書いててムズムズするけどほんとうにそう思っちゃったので書きました。ひとつ区切りがつけられて、良かったのかなあ、分からないけれど、ちょっとすっきりした。定規で線を引いたみたいに、きれいに区切れた。

 

いままでのことは、しっかり真空パックに詰め込んで、脳みその中にとっておきたいなあと思う。それでときどき取り出して眺めたりすると思う。わたしは、A.B.C-Zを好きになって良かった。

 

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(全然横アリっぽい写真が撮れてなかった)

 

 

おわり

 

 

20181112

 

 

こんなことを書く意味は無いとは分かってはいるんですけど、なかなか経験することってないと思うから記念に書こうと思います。人によっては不快に感じるかもしれないので、あー無理っすわ!ってなったらすぐ閉じて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと前にツイッターのアカウントを消しました。理由は言わずに消したんですが、今その理由を言うとすれば戸塚くんのファンを、戸塚担を、一旦辞めたい、と思ったからです。

 

そもそもあのアカウントは(このブログを読んでくれている人が全員私のツイッターも見てくれていた、という前提で話してすみません)、戸塚くんが好きで、好きで好きでどうしようもなくなって作ったアカウントでした。戸塚くんの文脈で語るなら、わたしの心の形が変わったから。だからもうそのままじゃいられないな、と思って消しました。事後報告になって、というかそもそもそこにそんなに興味もないと思うんですけど、そういうことでした。

 

 

わたしはずっと「降りる」ということは「好きじゃなくなった」ってこととイコールだと思ってたんですけど、どうやら違ったようで。いや大きなくくりで言えば一緒なのかもしれないけど、厳密には違くて。今の戸塚くんについては正直心は動かされないけど、担当を降りる直前まで、多分わたしが戸塚担であった最後の1秒までの戸塚くんのことは、これを書いている今でも絶対に嫌いになれないんですよね。嫌いになれないというか、許してしまうって言ったほうが近いかもしれない。

 

それぞれ担降りって違うものだと思うけど、わたしの場合はそうだった。

 

 

もっと悲しいとか辛いとか、そういう感情になるかなって思ってたんですけど、全くそうじゃなかった。「降りよう!」とかそういうふうにヨイショッ!みたいな心の準備があったわけでもなんでもなく、気づいたときには「ああもうわたしはこのひとの担当ではないな」って、静かにそう思いました。

 

 

このブログの最初に「戸塚担を一旦辞めたい」と書いたのは、将来の自分への保険です。1年後にでも来週にでも、もしかしたら明日にでも、わたしはまた戸塚くんの担当を名乗りたくなってしまっているかもしれないから、そのくらい魅力的な人だって今でもわりと本気で信じているから、そう書きました。

 

 

 

 

あとは、なんだろうなぁ。よくある思い出語りみたいなのしていいですか?笑 勝手にします。

 

 

 

 

戸塚担をしている間、たくさん大切な思い出が出来ました。仲良くしてくれた友達もそうだし、オタクじゃなかったら絶対行かなかった場所にも行けた。夜行バスで大阪行ったり、神戸まで飛行機で飛んだり。オタクと現場後に飲むお酒がめちゃくちゃ美味しいって知ったのも、戸塚くんのオタクをやってたからだと思う。

 

いつまでも覚えておきたいと思う戸塚くんの現場は、やっぱりSLTのオーラスかなあ。このブログを前から読んでくれている方にはね、「またかよ!」って感じだと思うんですけど。すいませんね、またします。

 

わたしはジャニオタになるまで、何かを見て感動して泣いたりとか、そういうのに縁遠い人間だった。まあ今は、単純に年取ったから涙もろくなったのもあると思うけど。

SLTの、もっと言えば『世界一』の戸塚くんは本当に綺麗だった。綺麗っていうか、無垢っていうのかなあ。ビューティフルじゃなくてピュアのほう。

そこにいる人がきれいで、きれいすぎて泣いたことってあります?わたしはなかった。あのときが初めてだった。発光して見えたもん。本当に。

戸塚くんがきれいだなと思ったらなんだか泣けてきて、どうしようと思って隣を見たら連番した友達も泣いていて。今思い出すとなんか、眩しいな。ああいう体験ってしようと思って出来るものじゃないし、もう2度とないかもしれない。それはそれで、いいような気もする。

 

 

 

わたしは戸塚くんとよく似ていると勝手に思ってて。まあそれは当然内面の話なんですけど。だから戸塚くんが底の深いぬかるみみたいなものに足を取られてた(ように感じた)時期は自分を鏡写しで見てるみたいで辛かった。だけどそんな自分も結局のところ大好きなんだろうなぁ、って思わせる戸塚くんから発信される文章とかを読んでいると、なんていうか毎回すごく救われたような気持ちになった。自分のことをもっと好きになってもいいんじゃないかって思えた。戸塚くんは愛に寛容な人だから、愛を基準にして世界を見てる人だから、愛に貪欲な人だから、結局なんだって愛さずにはいられないんだろうなって思う。それが他人でも、自分でも、誰でも。世界を。

 

 

 

戸塚くんに「ここを直して!」とか「ここはこうするべきだよ!」とか、担当やってる間は(多分)一度も思ったことなくて。何て言うか、もう半ば諦めというか。諦めって言うと言葉が悪いかもしれないけれど、もう今さら変わらないよねっていう。32歳だしね笑。戸塚くんはずっと変わらないと思うし、変わってほしいとも、もうこれを書いてる今は思わない。だから戸塚くんを愛してる人たちのために、一生懸命にこれからもアイドルとしての戸塚祥太さんを生きてください、っていうのはこんなどこにでもいるオタクが言えた言葉じゃない、ので。

アイドルとしての戸塚くんがもっとたくさんの人から愛される世界であって下さい、ということにしておきます。この世界へ、ね!

 

 

 

 

こんなのね、今さら担降りしたやつがうるせーよって感じだと思うんですけど笑。でも、それでも3年くらいかな?戸塚くんを見てきたのはわたしの中で事実で、本当に嘘じゃないので。たった3年ぽっち、って思われても当然だけど、でももうわたしには絶対に戻ってこない3年間なんです。だから書きたいことを思った通りに書きました。

 

 

 

 

 

 

なんかツイッター消したときより、今のほうが悲しいなー。悲しいじゃなくて、さみしいかな。これを書き終わったら本当の本当に、終わり。

 

 

 

わたしは『自担の戸塚くん』をずっと、戸塚祥太 作・演出・主演の『ジャニーズアイドル 戸塚くん』として観てきたつもりだったんですけど。とても楽しかったよ。面白かった。戸塚くんが人生かけて演者やってるものの観客が出来て、本当に良かった。

 

 

 

 

戸塚くんのことを好きでいたときの自分とその感情は、今思い出してもすごくすごくきれいだったなって思っていて。これまでの戸塚くんのことを思い出しながらこの文を書いていたら、そのときの気持ちを思い出して、なんだか懐かしくなった。

 

 

 

 

いま、このとき、一旦区切りをつけようと思った今。

 

 

自分が戸塚担だったことを、きれいな思い出に昇華しようとしている自分の心の動きを、わたしはいままで全ての答えだと思うことにする。ありがとうとかそんなことを言いたいわけじゃない。そんなこと、この段階で言えるほど出来たオタクじゃない。だからとりあえず、これからも元気にアイドルやってて下さい。以上。

 

お誕生日、おめでとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき


感想を送ってくださった方へ。ありがとうございました。わたしの書いた文を読んでそう思ってくれたこと、純粋に嬉しかったです。最後に、そんな言葉が貰えると思ってなかった。本当にありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

ひと月くらい前に人生で初めて煙草を買った。戸塚くんのファンをどう続けていこうか、わりと本気で悩んでいたときに買いました。今思うと何やってんだよ、って感じだな!笑 恥ずかしー。

1ヶ月かけてゆっくり消費して、このブログを書き上げたとき、残っていた最後の2本を吸いながら、自分の文章を読み直しました。灰になっていく煙草を見て、メロンソーダみたいな味の煙を吸いながら、なんだか戸塚くんが好きそうなシチュエーションだなあと思いました。なんとなく。もう吸いません。

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

11/14 追記

また感想を送ってくださった方がいたので、ここにお返事を書きたいと思います。ここに書くのが、なんとなく正しい置き場な気がするので。

 

わたしは戸塚担でいた3年と少しの間、戸塚くんのことをいちばん「知りたい」と思う対象として見ていた節がありました。

わたしの研究室のボスに『PDCA』(プラン・ドウ・チェック・アクション)という言葉を教えてもらったことがあります。目標を計画的に、効率よく達成するためのものらしいですね。これとは少し違うけど、どういうひとなんだろうって考えて、現場に入って、自分なりにそれを噛み砕いて、ツイッターやブログにアウトプットする…まあ実際はそんな堅苦しいものじゃなかったですけど笑。でも、それを繰り返してきた3年だったと思います。

今回感想を読ませていただいて思ったのは、わたしは戸塚くんがどういうひとであるかを知りたいと思うのと同時に、自分自身が戸塚くんという存在に触れてどう変化するのかも知りたかったのかもしれない、ということです。わたしはずっと前から、わたしのことが好きではないです。多分『自尊感情』というやつが低い人間ですね笑。だから「どうやったら好きになれるか」というか「どうして嫌いなのか」をずっと探っていました。その探索の延長で、きっと自分を客観視しようとしてるくせがついてるんだと思います。まあだから何?って話なんですけど、感想をいただいてわたしはそれに気付けたので、ありがとうございます、とお礼を言いたいです。

アイドルを応援するのって、とても面白いことだと思います。自分ではない他人を通して、自分を見ることがあります。チケットの当落とか、当たったあとも座席の位置とか、自分よりも他のひとが羨ましくなって妬ましくなって、そんな自分を嫌な人間だって自覚させられることとかあります。…これを書いている今、だから自分めんどくせーんだよ!ってキレそうになってきたので、そろそろここらへんでやめておきます。

あ!このブログを読んで「柔らかくて優しいかたなんだろうなと感じました」って、わたしの人生史上3本の指には入るであろうものすごい褒め言葉(ですよね?)をいただいたんですけど、普段のわたし、めちゃくちゃ言葉遣い悪いです笑。でも高校の時大好きだった先生に「言葉はそのひとを写す鏡」って言われたことがあって、それから書く文だけは丁寧を心がけてきたので、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。これからもお互いにジャニオタ楽しみましょう。note、頑張って書こうと思います。

 

 

 

 

 

なつのおわり

 

 

ジャニーズにA.B.C-Zっていうグループがいて、みんなアクロバットができて、5人中4人は30代で、ちょっと(かなり)おかしくて、かっこよくて、そのA.B.C-Z戸塚祥太っていうめちゃくちゃ面白いアイドルがいるんですけど、 

 

いるんですよ。

 

わたしは戸塚くんのことを世界一面白い人間だと思っていて、それは3年前に「戸塚担」を自称し始めたときから変わらない。戸塚くんてめちゃくちゃ面白いんだよ。訳わかんないくらいに。

 

何かを好きになるとかってその何かを理解したいと思うことだと思っていて、わたしは戸塚くんのことを理解したいと思いつつ戸塚担をやっているわけなんだけど3年以上経った今でも全然、まったく、理解できない。戸塚くんは戸塚くんの人生の文脈どおりに生きていて、多分たまにその道をそれたりして、でもその外れた道だって戸塚くんのものだよね、って頷けるくらいには戸塚担の自分に慣れてきたかもしれない。

 

 

 

大宮公演の話をする。一曲目、花言葉のイントロで「いや〜〜やっぱいい曲だな〜〜」ってしみじみしながら戸塚くんの目を見て笑ってしまった。やべえやつだ、ってコンマ3秒で分かった。3日間山籠りしてきたみたいな目してた。5時間滝に打たれたあとみたいな目してた。終始やばくて「やべーー!!!」って思いながら見てた。そういう戸塚くん見るの、楽しくてわりと好きな戸塚担なので。なんだけど『Forget How To Forget』で目をぎゅーーっとつぶったまま歌う戸塚くんは、一昨年のツアーのオーラスでわたしが号泣させられた戸塚くんに重なってしまって視界がちょっとぼやけた。戸塚くんを見ると毎回「こんなに綺麗な人っているんだな」って思う。ありきたりな言葉だけど戸塚くんがアイドルになってくれて良かったなぁ、いまでもアイドルの仕事やっててくれて良かったなぁって何度も何度も思いながら、この先もわたしは戸塚くんのおたくをやるんだろうな。きっと。『忘れ方を忘れてしまう』なんてよく出来た歌詞だ。ぴったり過ぎて困るな、本当に。

 

 

踊ったり歌ったりしてる5人を見ながら、「すげ〜〜"コンサート感"あるな!」って思っていた。心の隅で一昨年のSLTの初日を思い出しながら。あの時はなかなかやばかったよね、曲間とかさ。なんだよあの沈黙!みたいなのとかさ。あったよなぁ、それでもA.B.C-Zは毎年「楽しい」と「最高」を更新してるな、って思いながら見た。わたしはここ3年ちょいの間でしかファンをやってないけど、それでも5人が成長してるんだなっていうのが分かる。ジュニアの時代から見てる人たちならもっともっと感じるんだろうなって思う。はしちゃんはよく喋ってよく笑うようになった。五関くんもそう。塚ちゃんはずっと面白い。戸塚くんは、よく分からない。戸塚くんはずっと穏やかな気がする。たまに変なスイッチ入るけど。だけど、河合くんが一生懸命喋って回して、っていうMCじゃなくなったのはいつからだっけ。河合くんははしちゃんとか五関くんとか塚ちゃんに突っ込まれたりしててかわいかったなぁ。A.B.C-Zっていいなぁって思った。それは毎年のことなんだけど。

 

 

おたくをやっている自分にもこなさなきゃいけない毎日があって。ご飯食べて洗濯したりとか光熱費払ったりとか、大学行ったりとかバイトしたりとか。変わらなきゃいけないこととか、どうやっても変えられないこともある。

 

最近、好きな人とか応援したい人がいるってとても楽だなと思うことが多くなった。わたしの場合はそれがアイドルだから、リリースされるCDとDVDを買って、コンサートと舞台があれば申し込んで、チケットを取って、現場に入る。わたしは本格的に(本格的にっていうのもなんかおかしいけど)ジャニオタを始めたのが戸塚くんのファンになってからなんだけど、最近になってようやくそういうルーティーンみたいなのが掴めてきた気がする。変わらないものが側にあるってとても楽だ。わたしが応援してるのはアイドルに入った生身の『にんげん』だから「変わらないと思わせてくれるもの」って言ったほうが正しいのかもしれないけど。何かあったときに戻る場所があるって安心だよなあって思う。わたしが、わたし自身のためにアイドルを好きでいる方法を身につけたのかもしれないな。

 

 

今年の夏も早かったな。早くて楽しかった。「来年の夏も」の保証はなにもないけど、それでも絶対楽しいって無責任に言ってしまえるくらいにはわたしはA.B.C-Zを好きだし、信用したい、してる。

 

 

JOYしたいキモチ、オリコンウィークリー1位おめでと!そんでもって横アリ追加公演ありがと!!楽しみ!!!

 

 

 

デイゼロ、のその日

 

(※若干舞台についてのネタバレを含むかもしれません)

 

 

 

 

 

 

 

 

前日の19時くらいまで、ほんとにほんとに水戸に行くつもりはなかったんだ。まあ今となってはただの言い訳みたいになってしまうけど。

 

 

前日20時くらいになって「あ、そういや明日初日じゃん」と思い出した。21時くらいになって「…水戸なら、行けなくもないな」と思い始めて、22時には譲りのチケットを探していた。おたく、フットワークの軽さだけが取り柄です。幸い、とても良い方に譲ってもらえることになって、話がちゃんとまとまったのが、もう日付越えてだいぶ経った時間だったかなぁ。譲って頂いたのがめちゃくちゃ丁寧にやり取りしてくださる方で(本当に感謝しかない)、それだけでもうこの舞台が良いものになるんじゃないかって、なんとなく予感めいたものがした。

 

 

 

当日、お昼の12時に研究室を抜け出して(つくづくダメな院生だ)、普通電車を乗り継いで水戸に向かった。朝大学に寄ってJRの学割証ちゃんともらってきてたあたり、ちゃっかりしてるなあ自分、と思う。

 

水戸に向かうまでなんにも手に付かなくて、カバンに入れてた文庫本を開いたりもしてみたけど、全く内容が頭に入ってこなかった。3ページ読んだくらいで諦めて、またカバンにしまい直した。

 

 

 

 

日暮里で乗り換えて常磐線の電車に揺られていたら、ふと気づくと斜向かいにおじいさんが座っていた。そのおじいさんが、持ってたレジ袋からレモンのストロング缶酎ハイを取り出して、美味しそうに飲んでたのが羨ましかった。電車はとても空いていた。ゆっくりゆっくりロングの缶酎ハイを飲み終えたあと、もうひとつ持っていたレジ袋から何かを取り出したなと思ったら、それが薬の処方箋だったから、心の中で「おいおいおじいちゃん大丈夫?」って話しかけたりした。おじいちゃんはつまんなそうに処方箋を眺めたあと、またレジ袋にしまい直して、確か赤塚で降りて行った。

 

 

 

水戸駅で降りるのは二度目だった。2年前の3月、茨城大に進学した高校時代の友達の家に遊びに来た時以来。一度目に来たときはたしか花言葉(※A.B.C-Zの8枚目のDVD。名曲です)が発売された直後で、友達にわざわざ「見たいCDがあるんだけど」ってお願いして2〜3軒CDショップを回って、各店舗でどういうふうなコーナーが作られてるかをただ見て回った。その友達には最初、A.B.C-Zが好きとは伝えてなかったんだけど、さすがに2軒目のお店で「なんのCD買いたいの?」と聞かれたから「実はいまA.B.C-Zが好きでね、新しく出たDVDがどういう感じか見たかっただけなんだ」と告白した。わたしはジャニーズの「ジャ」の字も言わないような女子高生をやってたから、その子は凄く驚いてた。まあこれはいま関係ない話なんですけどね。

 

 

 

でもさ、その時はまさか、当時Jr.(しかもアラサー)だった推しの初単独主演ミュージカルを観るためだけにまた水戸へやって来るなんて、思いもしないじゃあないですか。

 

 

 

ぼんやり覚えていた水戸駅の構内を歩いて、4番のバス乗り場からバスに乗り、劇場に向かった。スムーズにチケットを受け取ることが出来て、時間が余っていたからロビーでぼうっとしていた。これから自分がなにを観ようとしているのか、頭では分かっていたけど、心が追いついていなかった。

 

 

開場の時間になっても、なんだかすぐには劇場に入る気分になれなくて、ロビーの端っこで、さも「友達を待ってるんですよ」みたいな顔して突っ立っていた。ぞろぞろと劇場内に吸い込まれていくひとたちを横目で眺めながら、開演10分前になってようやく中に入って席に着いた。

 

 

初めて入った水戸芸術館の劇場はこぢんまりとして、でも内装が素敵だった。背もたれは低めでちょっと座りにくかった。ぐるりとまわりを見渡してようやく、「あ、ここの舞台が始まりになるんだ」という実感が湧いた。

 

 

 

開演予定の18時半を少し過ぎてから、始まったと思う。うす暗く照明が落とされたシンと静まった劇場で、気づいたらすぐ横に福ちゃんが立っていたからひどく驚いた。驚いて顔を見上げたけど、その横顔はもう、福ちゃんのものじゃなかった。

 

 

 

2016年に『コインロッカーベイビーズ』という音楽劇の舞台があった(A.B.C-Z 橋本くんと河合くんが主演だった)。とても大好きなオタクの友達(河合くんのおたくです)がいて、その子とこの舞台を観劇したんだけど、わたしが初めてこの舞台を観たその日、2回目の観劇だったという彼女は既に劇中歌やセリフをめちゃくちゃ暗記していた。劇中歌を歌いながら、ご飯を食べようと移動した渋谷のスクランブル交差点を渡ったりしていた。「すごいね」とわたしが言ったら「劇中はメモとか取ってないんだけど、覚えてるんだよね。多分この舞台がすごく好きなんだと思う」と答えが返ってきた。その時は「いや、それでもすごいって」と言い返したけど、今ならちょっと、あの子が言っていたことが分かるような気がしてしまう。

 

 

 

ジョージ(福田くん)やモリー(谷口さん)やディクソン(上口さん)やアーロン(内藤さん)やパトリシア(梅田さん)やカウンセラー(西川さん)、ほかにも登場人物はいるけれど、まだ一度きりしか観ていないのに、案外、自分でも驚くくらいに彼らの言葉を覚えている。歌も覚えている。わたしはすんなりと、この舞台の虜になった。始まって5分くらいで「これは好きですわ」と、なんとなく全面降伏させられたような気分になったのも覚えている。

 

 

 

劇が始まるまでは泣くのかなぁとか考えていたけど、お芝居が始まった途端にそんなことは忘れていた。「福田悠太さんの初主演ミュージカル」の感慨に浸る余裕なんてなかった。このお話に、ただただ飲み込まれるしかなかった。

 

 

 

 

偶然だけどわたしは今年に入ってから、このデイゼロの前にも戦争を扱ったミュージカル(『マタ・ハリ』)を観劇していた。その時にも頭に浮かんできたのは「戦争ってなんなんだろう」という漠然としすぎている疑問だった。死にたくない、生きたい、大切な人とともに生きたい。でもじゃあ、その大切な人を守るには?自分が戦うしかないんじゃないか?死にたくないけど、戦地へ行く。誰かを守るために、誰かを殺す。それが「しょうがない」で済まされてしまうのが戦争なのだ、たぶん。

 

 

 

舞台、特にミュージカルは、「面白い or 面白くない」と同じく「合う or 合わない」があると思っているんだけど、わたしはこのデイゼロの世界がとても好きだし、きっと自分に合っていると勝手に思い込んでいる。最後のシーン、作り込まれたラストへの盛り上がりとかそういうのじゃなくて、何かが「プツン」と切れたような感じ。人が死というものと本気で向かい合わなければいけなくなったとき、ああなるのかもしれない。お話が閉じたときその一瞬、透明な時間が流れた気がした。「え、これで終わりなのか」と思った次にはもう、キャストの皆さんが深々とお辞儀をしていた。拍手に包まれながら、顔を上げたその表情はたぶんいつもの福ちゃんに戻っていた。

  

 

 

 

何度かここにも書いている気がするけど、わたしが初めて福ちゃんを知ったのは2015→2016のカウコンだった。東京ドームにいたわけでもなく、テレビの中継で見ていた。タキツバのバックでVenusを踊っているふぉ〜ゆ〜を、福ちゃんを見てから、なんとなく頭からずっと離れてくれなかった。それからリア恋やら(ここは笑うところです)いくつかのふぉ〜ゆ〜主演舞台を経て、去年の冬、半ば強引に認めさせられたような感じで(完全に主観なんだけど、でも福ちゃんに関してはそういう感覚だった)福田悠太さんの担当を名乗るようになったのだけど、そのときはまさか、こんな日が来ると思ってなかった。

 

辰巳くんの主演舞台が決まったと聞いたときは、「ああそうか」と思った。ふぉ〜ゆ〜で先陣切るなら辰巳雄大でしょう。大いに納得です。だけど福ちゃんの主演舞台が次に来るとは思ってなかった。しかもミュージカル。わたしは福ちゃんの歌が好きだから、大丈夫でしょうって勝手に思っていたけど、たぶん福ちゃんは自分で「歌は得意じゃない」って思ってるんだろうなとなんとなく感づいていた(実際にそのようなことを雑誌でも言っていた)。

 

 

担当になってから知ったんだけど、福ちゃんは恐ろしく自己肯定力が低い。謙遜とかじゃなく本気で本気で自分のことを「ダメなやつ」みたいに言う。努力を見せるのも嫌いなんだと思う。照れ屋でもある。中学生のときとか、中間テストの前に「勉強した?」って聞いても「全然してねー」って言ったくせにフツーに平均点以上取ってなんでもないような顔してるやついたじゃないですか。福ちゃんああいうタイプだと思ってます(ちなみにここでの例えは、福田くんの学力偏差値が高いかどうかとは別問題です)。なんだよもう、あなた何歳なんだよ。今年32になるんでしょう。もういい加減、自分が恐ろしく綺麗で、ダンスも上手で、演技も出来て、自信ないって言ってた歌も超実力派キャストの方々と「まあ張り合えるんじゃね?」くらいのレベルまで努力で歌えるようになってしまえる福田悠太さんだっていうことを認めたほうが良い。認めて、楽になってしまえよ。福ちゃんは格好良すぎるよ。福ちゃんを格好良いって認めてないの、福ちゃんくらいだよ。

 

 

 

 

 

 

ミュージカル『DAY ZERO』はまだ始まったばかりだ。これからもっともっと福ちゃんの演技と歌と、もろもろ含めた「役者 福田悠太」が成長してしまうって考えると、楽しみでも、ちょっぴり恐ろしくもある。

 

 

 

 

 

キャストの皆様が最後のその日まで全力で走り抜けられるよう、祈りを込めて。

 

 

 

 

ハチクロの野宮さんが越岡裕貴さんに見えてしまう病気にかかった

 

 

まじで、病は突然に。

 

 

 

先日突然「えっ...ハチクロの野宮さんって越岡裕貴さんなのでは...?」と思ったんですよね。それ思ってからハチクロ読み返してみたけど、まあ、しんどいです。しんどいの力でこのブログ書いてます。勢いオンリー。

 

(こんなツイートもしたけど誰にも共感してもらえてない)(だが書く)

 

 

 

 

この漫画を全く知らないって方は殆どいらっしゃらないんじゃないかと勝手に思ってるんですが、いちおう紹介を。

 

ハチミツとクローバー』(英語: Honey and Clover[1])は、羽海野チカによる日本漫画作品。またはそれを原作としたテレビアニメ実写映画テレビドラマ。「ハチクロ」と略される。

ハチミツとクローバー - Wikipedia

 

主人公の竹本くんについては、映画では嵐の櫻井くん、ドラマでは生田斗真くんが演じていましたね。ジャニーーズッッッ!!!

 

 

 

 

だがしかし、今回論じたいのはこの主人公 竹本くんではなく、というかむしろメインキャラでもない『野宮 匠』についてなのでありまして。メインではないけどめちゃくちゃ重要なキャラです。(読んだことある人なら分かるけど)

 

 

 

まずこの野宮さんについて。(ウィキペディアさんに一任します)

藤原デザイン事務所での真山の先輩。髪がやや長く、メガネをかけている。仕事は非常に優秀でやり手な大人の男で、昔の原田(夫)を髣髴させる、人の使い手。真山や山田が無意識に抱いている利己的な感情を彼ら自身に鋭く問い掛ける。かつての自分と似たような葛藤を抱える真山には、若かりし頃の自分(青春スーツと称される)を見るようで気恥ずかしさを感じ、複雑に思っている(偶然だが名前も真山と同じ「たくみ」である)。女性に対してはドライだったが(仕事中にかかってきた電話に対して、躊躇いもなく携帯電話を海に捨てるほど)、山田に関心を持ち、積極的なアプローチを行ううち、切り捨てた筈の青臭さを取り戻す。そして最終的にはストレートに山田に告白して、青春スーツを再装着してしまう。年齢は不明だが作品終盤の時点で30代

ハチミツとクローバー - Wikipedia

 

 

この漫画を知らない方がこれ読んでも「真山?」「原田?」となるかもしれないんですが、とりあえずそこはどうでもいいです。重要なのはここ、

 

女性に対してはドライだったが(仕事中にかかってきた電話に対して、躊躇いもなく携帯電話を海に捨てるほど)、山田に関心を持ち、積極的なアプローチを行ううち、切り捨てた筈の青臭さを取り戻す。

 

もともと女にドライな仕事人間だったのに、年下の女の子に惚れちゃって、最終的にはもうめちゃくちゃクサイ台詞はいちゃったりする人です。

 

 

 

 

とは言え語彙力が貧弱なオタクだからとりあえず見てほしい。まずここ。

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この野宮さんが興味を持った女子(山田あゆ)が、あゆの片思いの相手(真山)の忘れ物のコートを勝手に着ているのに気づかないフリをしつつご飯に誘い、蕎麦を食べるためだけにいきなり長野へ連行するんですよね。蕎麦を食べて自宅まで送り、家の前でコレ。いや、めっちゃいじわるやん。こんなん、自分がある程度モテるって分かってないとできないやつじゃん。越岡さんじゃん。

 

 

そしてそのことが真山に知られ、「何でイキナリ長野なんすか!?」と聞かれてこれ、

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「..........ちょっと遠くへ行きたくなった__からかな?」

 

???

 

彼女でも何でもない女を車に乗せて長野まで蕎麦食いに行った挙句「ちょっと遠くへ行きたくなったから」なんて理由が通るのは十中八九イケメンだ。つまるところ越岡さん。

 

 

そしてこの野宮さん、あゆがなかなか真山への思いを断ち切れないがゆえに、あゆに利用されてしまう。そのことには気づいてる野宮さん。だけど気づかないふりをして、あゆの誘いに乗った...と思わせてからのこれ。

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ここまで言ってあゆのこと泣かせちゃう。だけどあゆを突き放すのかと思いきや、最終的には優しくする。マジ…

 

 

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(ケーキとコーヒーをテイクアウトしてこんなすげー部屋に連れ込んだ上、「真山のどこが好きなの」とか聞き出す野宮さん)(真山への思いをぶちまけちゃうあゆの話を「うん」って相槌だけして聞く野宮さん)(しかも手は出さない)

 

 

 

その後なんやかんや(鳥取で仕事中、あゆが電話口で泣きそうになっていることを察して東京まで9時間車を走らせる野宮さん)(しかし野宮さんが東京へ向かっている最中に鳥取に向かったあゆ)(すれ違いがすごい)(野宮さんは鳥取にとんぼ返り)して、からのこれですよ、これ。

 

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 ッカーーーーーーーーーーーーー!!!

 

あゆを東京に帰す電車のホームですからね、これ。これ言ったあとに電車のドア閉まるやつです。良い男が正攻法決めてくんのやめてほしい。惚れるしかないから。

 

そして電車が行ってしまったあとのこれ、

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いちばん大事なときに計算とか出来なくなっちゃう感じ、好きになるしかないからやめてほしい。

 

 

もう文字打つのもだるくなったか載せるだけ載せます(伝わって)(圧)。

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アァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(天を仰ぐ図)

 

 

 

ところでここまで書いて思ったけど、単にわたしが長髪プラス眼鏡の越岡裕貴を見たいだけな気もしてきた。

 

 

越岡さんって、たぶん自分の容姿が優れてることを自覚してますよね。「ジャニーズなんだから当たり前だろ」ってツッコミ入りそうだけど、案外これをちゃんと自覚してない人もいると思うんです。「いろんな人から言われるから、おれってかっこいいんだろうな」パターンの人って割と多いんじゃないかなって思ってます。だけど越岡さんは自分を客観視して、その上で自覚してそうなところがずるいよなあって思ってます。上手く言えないしめちゃくちゃ私感だけど、自分のイケメンさを踏まえたうえで「こういうことしたら相手(女)が誤解するかもな」っていうラインを無意識で計算して優しくしてそうだなと思うんです。まー、わたしが勝手に思ってるだけなんですけどね。だからこそ、好きでも何でもない相手には後腐れなくうまく立ち振る舞いそうだし、逆に惚れた女にはもうそういうの全部忘れてガ―――ッと突っ走っちゃったりもしてそう。と、いうか、そういう越岡さんが見たいから野宮さんを越岡さんだと思いたいのかもしれないです。うん、ハイ。とりあえずそういう役来てほしい、越岡さんに。

 

 

 

 

最後に「越岡さんが野宮さんなら、松崎さんは山崎さんじゃね?」って話を聞いてほしい。

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松崎さん、こんな服でも着こなしそうだし。

 

 

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(職場の先輩にアプローチかけても全く気付いてもらえてない。)

 

 

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 (極めつけには「アンタとワタシは一生友達だからねっっ☆」って言われる...)

 

 

 

 

 

(こんな越松が見たい)

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(あとこの原田さんはどう考えても福田悠太さん)(もはや野宮にはなんの関係もない)

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(しんど...)

 

 

 

 

あと、竹本くんと真山を足して2で割ったら辰巳くんだと思います。

 

 

 

 

終わり

 

 

 

ジョーダンバットが鳴っている

 

 

 

それぞれの家庭にそれぞれの教育方針みたいなものがあるんだろうけど、我が家の場合は「とにかく本を読め」だった。

 

小学校に入ってすぐ(記憶が曖昧なのでもしかするとすぐではないかもしれないけど)の頃から母親に「本を読むと文字や言葉をたくさん覚えられるから」と言われて毎月『ちゃお』を買ってもらっていた。父は「なんで漫画なんだよ」と言っていたけれど(今考えると確かにそう思う)、母は「漫画でもなんでも文字さえ読めりゃいいのよ」と言ってちゃおの定期購読をわたしが小学校を卒業するまで続けてくれた。オモチャやゲームはクリスマスにしか買ってもらえなかったけど、本だけは欲しいと言えば大体は買ってもらえた。青い鳥文庫の本とか、漫画の単行本とか。話が逸れるけれど、わたしの家では誕生日プレゼントを貰える年と貰えない年があって、その理由については「むしろここまで大きくなれましたってお父さんとお母さんに感謝しなさいよ」と言われたのだけど、(貰える年はおそらく両親の気まぐれで、「誕生日だから〇〇がほしい」とリクエストすると買ってもらえる時もあった)最後に自分のリクエストで貰った誕生日プレゼントは確か小学4年生の時、小学館の動物図鑑だった。いま思うと図鑑だって本なんだから、わざわざ誕生日に買ってもらわなくてもいいのになぁ。

 

中学に入ってからも相変わらず漫画が好きだったけど、小学生の頃みたいには買ってもらえなくなった。元々"アンチ漫画"だった父が許してくれなくなったからだ。それからは親がお金を出してくれる本は、漫画以外の本になった。

そんなルールみたいなものが出来てから、買ってもらうのはもっぱら小説の文庫本になり、その内の一冊が伊坂幸太郎の『オーデュボンの祈り』だった。当時「面白い小説家」を全く知らなかったわたしは「伊坂幸太郎は面白い」と覚えて、伊坂幸太郎の本を読むようになった。今思えば、もしあの時伊坂幸太郎の小説に出会っていなかったら、今みたいに読書が好きな人間になってなかったかもしれない。

 

そのくらいに、わたしの『伊坂幸太郎』の思い出は深い。

 

 

 

 

大学1年の春休み、気になるアイドルが出来た。戸塚祥太というひとだった。このひとの名前をネットで調べていくうちに『伊坂幸太郎』というワードを見つけた。どうやら戸塚祥太くんは伊坂幸太郎が好きらしい。趣味合うじゃん、と思った。しかもあの『ダ・ヴィンチ』で連載しているとか。マジかよ、文が書けるジャニーズって加藤シゲアキだけじゃなかったのかよ、と思った。

 

 

 

わたしがダヴィンチを初めて読んだのは高校1年の時だ。高校の図書室にいた司書さんがとても面白い方で、わたしはしょっちゅう図書室に通っていたのだけれど、そこでほとんど毎月読んでいた。戸塚くんがダヴィンチで連載を始めたのが2013年11月だけど、その頃受験生だったわたしは、高3の春に大好きだった司書さんが転任してしまったこともあって図書室にあまり行かなくなっていたから知らなかったのかもなあ、と思った。

 

 

 

戸塚くんがダヴィンチで連載していると知って、大学の図書館で久しぶりにダヴィンチを開いた。ページをめくっていくと、雑誌の後ろのほうにあった。戸塚くんの連載、『ジョーダンバットが鳴っている』。ジョーダンバット、ってどっかで聞いたことあるぞと思った。ちなみにわたしはわりと本を読んできたほうだと思うけれど、読み終えて本を閉じた瞬間には6割内容を忘れてるような人間です。

例に漏れず、その時読んだのがどの回のジョーダンバットだったのかは覚えていないのだけど、「このひとの書く文章、読みやすいなぁ」と感じたのははっきりと覚えている。あと"予想してたよりもものすごくちゃんとした"エッセイに驚いた覚えもある。戸塚祥太、すげえと思った。

 

 

 

それからまあ色々あって戸塚くんを『自担』にするんだけど、担当になってから分かったのは、戸塚くんはわたしが予想してた以上に"書く"ことが好き、ということだった。そしてわたしは戸塚くんの書く文章を読めば読むほど、戸塚くんのことを好きになった。戸塚くんは気持ちのいい文を書く。そしてその文はすっと心に馴染む。『ジョーダンバット~』の連載がダヴィンチで終わってからは戸塚くんが書いた文章を読めるのがジャニーズwebだけになってしまって、寂しかった。

 

 

ジョーダンバット~』の連載が終わってからしばらくして、戸塚くんが本を出せたらなあとぼんやり考えた。ツイッターでもたくさんのひとたちが『ジョーダンバット~』の書籍化を願っていて、編集部にメールや手紙を送っているひともいた。わたしもメールを送った覚えがある。メールになんて書いたかはっきり覚えていないけれど、その時は自分に何ができるか分からなくて、藁にも縋る思いで、と言うと大袈裟だけどとにかくそんなような気持ちだった。

 

 

書籍化の知らせを初めて聞いた瞬間、「こんなことってあるんだ」と思った。わたしはジャニオタになってから要望メールや手紙を書くことをするようになったのだけど、それまではそういうものを書こうと思ったことなど一度もなかった。これについては自分の性格も関係しているんだろうけど、わたしは元々「実現するかも分かんないことに時間使うの無駄じゃん」って思ってしまうタイプの人間だからだ。

 

だけどそんな自分の性格が(好きなアイドルに関することだけだけど)変わるくらいの強い思いを持つことが、オタクになってから何度かあった。「実現してもしなくてもとりあえず書くだけ書いてみよう」という選択肢がわたしの中に出来た。

 

そんなふうに「とりあえず」で書いてみた要望メールが、まさか実現するとは。わたし以上に沢山メールを送った方もたくさんいたんだろうし、今回はそういう方々の熱量の成果であって、わたしなんか1ミリグラムも貢献できたかは分からないけれど。

 

 

戸塚くんは「みんなのおかげで」と言い続けていた。「みんなのおかげで本になる」と。実際に出版された本のまえがきにもそういうふうな旨の文がある。だけどみんながそういう行動を起こした大元のエネルギー源は、間違いなく戸塚くん、あなた自身だよ。これはわたしなんかが言っていい言葉じゃないのかもしれないけど。でも、戸塚くんにはそういうパワーがあるんだよ。戸塚くん、あなたはとてもすごいひとです。『ジョーダンバットが鳴っている』の作者は、戸塚祥太ただひとりだよ。わたしはとても誇らしいです。戸塚くんのファンでいることが、陳腐なことばだけどほんとうに幸せです。楽しいです。

 

 

 

フォトエッセイ『ジョーダンバットが鳴っている』は、戸塚くんがダ・ヴィンチで連載していた際の『ジョーダンバットが鳴っている』とその他ダ・ヴィンチに寄せた本の紹介文等に加え、新たに4人のメンバーのインタビューと戸塚くんが書き下ろした短編小説が収録されている。

 

連載していた分の『ジョーダンバット~』では毎回違った出来事について、その時の戸塚くんの思いが綴られている。わたしは大学の図書館でダ・ヴィンチのバックナンバーを読んでいたので、全て1度は読んだことがあるはずなのだけど、やっぱり忘れてしまっている部分が大半で、新鮮な気持ちで、ところどころ「ああこんなこと書いてたなぁ」と思いながらページをめくった。いくつか声を出して笑ってしまった箇所もあったりして、戸塚くんてやっぱり面白いひとだなと改めて思った。連載していた分の『ジョーダンバット~』をすっかり読み終えると、戸塚くんを中心で支える一本の柱がうっすらと見えた気がした。多分、戸塚くんが戸塚祥太である所以の柱だ。それはまだはっきりとは見えないけれど、でもこれを読めば間違いなく見える。誰かのファンをやっていると迷うことが何度もあるけど、そういう時がこれから来たらわたしは、間違いなくこの本を開くと思う。

 

 

メンバーのインタビューを読んで感じたのは、「A.B.C-Zってみんな優しいんだな」ということだった。これはもう知っていたことだけど。優しさゆえに傷つけまいとしてすれ違ったこともあったんだろうけど、それに気づいたらもう大丈夫。A.B.C-Zは最強だもんね。

 

 

読んでいていちばん楽しかったのが最後の書きおろし短編小説『光』だった。鈍感というかアホだから3回読んでやっと、なんでそのタイトルが付けられたのかが分かった。自分以外の人間から見られる(この小説のなかで言えば「見ることができる」なのかもしれない)部分はどうしたって光が当たっている部分でしかない。だけど自分自身にとっては光が当たっていない=暗の部分のほうが重要だったりすることもあるし、その分しんどかったりもする。むしろ明の中でどう動けるかは、暗の中にいた時にどういうふうにふるまっていたかが関係しているのかもしれない。暗は他人から見られない分サボることもできるけど、だからこそその部分は自分だけのものだ...と、わたしにしては珍しく考察してみたりもした。つかこうへいと伊坂幸太郎の両方を知っているひとにこの小説を読ませて、「この小説の作者、つかこうへいと伊坂幸太郎が好きなんですよ」と言ったら5人中4人は「やっぱりね」と言いそうだと思った。そのくらい強く、このふたりの作家が戸塚くんに影響を与えているんだと思うと、なんだか胸がほかほかとした。戸塚くんの『小説』をちゃんと読んだのは今回が初めてだと思うけど、純粋にもっと読みたいと思った。戸塚くんが「書く」ことを続ける限り、わたしはその読者であり続けたい。どうか戸塚くんに書き続けてほしいと、強く願わずにいられない。

 

 

 

 

ジョーダンバットが鳴っている』の出版、ほんとうにおめでとうございます。3年前、Googleの検索フォームに戸塚祥太と入れていた自分に「そのひと、3年経ったら本出すよ」って教えたらどんな顔するんだろう?きっと驚くだろうな。